「鰤(ぶり)人生を楽しむ」


『鰤(ぶり)は大きさによって呼び名が変わる出世魚と言われます。北陸地方では、「コゾクラ・コズクラ・ツバイン・フクラギ・ガンド・ガンブリ」と呼ばれています。飛騨地方ではこの鰤は目出たい年取り魚で大晦日に食べるのが習慣ですが、鰤は高くて買えずフクラギを食べるのが一般的でした。今は生鰤を食べますが、30年ほど前までは、富山湾で水揚げされた生鰤を飛騨の市場で塩鰤にし、その塩鰤が信州に運ばれ飛騨鰤と呼ばれました。信州へ運ばれれば、より高価な鰤になったと考えます。

魚を人生に例えると私は「鰤人生」を歩みたいと願っています。鰤は餌を求め泳ぎ続けますが、その姿を私達人間の行為に当てはめれば 、仕事することであり、勉強することであると考えます。それは休むことのない自己挑戦ととらえています。そして鰤は成長するごとに呼び名が変わります。この鰤のように成長するごとに呼び名が変わる人生を歩みたいと思います。

厳しい捉え方ですが、全て生き物の世界は、スキを見せれば餌として狙われ食べられてしまいます。それが生き物の世界なのに、私達人間はこの生きることの原点を忘れているのではないでしょうか?。それが過剰な他者依存体質の定着化です。日本の国と地方を合わせ一千兆円と云う莫大な借金を生んだのも、普天間基地の移転問題も全ての元凶は過剰な他者依存体質にあり、身の丈以上のモノを求めることにあると考えます。

この鰤は死ぬまで泳ぎ続けますが、決していやいや泳いでいるのではなく、仲間と助け合って楽しく泳いでいると考えます。そしてその亡骸は多くの生き物の良質な餌となると考えます。私の願いはこの鰤のように一生泳ぎ続ける人生を歩みたいと願っています。そしてその死骸は多くの人の餌になることです。この餌とは世の中に役立つことです。次の世代がそれを餌として生きて行く、そんな鰤人生を歩みたいと願っています。』