「人生は出会いで決まる」第3回

『3人目は手足無き聖人と言われた中村久子さんです。久子さんに初めてお会いしたのは、昭和30年小学校5年生の頃で、神岡町の大国寺で講演された時です。私は母に連れられて行き、この時の印象は本当に手足の無いだるまさんだと覚えているだけでした。この年、父は急に失明し、父も母もどん底の中にあった時でした。ここから父と母との、私たちを育て、生活していくための厳しい闘いが始まりました。

それから30数年経った42歳の時、中村久子さんの著書「心の手足」を読んで感動し、高山市内の久子さんの長女中村富子さんの自宅を訪ねました。この出会いが中村久子女史顕彰会の設立と富子さんが私の会社に勤務されるキッカケとなったのですから不思議です。

富子さんとお会いし第一に感じたことは、久子さんがあまり飛騨の人に知られていないと云うことでした。私は久子さんを多くの人に知って頂くために、無謀にも中村久子女史遺品展を1人で企画しました。昭和62年5月・場所は高山市文化会館の2階展示室と決めました。富子さんから久子さんの遺品を百点あまりお借りし、展示する準備を富子さんと始めました。そこへ久子さんの依頼で悲母観音を作られた真蓮寺住職の長男三島多聞さんが手伝いに来て下さいました。この出会いから1年後、三島さんが会長、私が事務局長として中村久子女史顕彰会を設立しました。』