山歩きと歴史散策

昨日も良い天気に恵まれ高山市国府町の「歩み山遊歩道」に行って来ました。この遊歩道は登り口から厳しい山道で、写真の「歩み山」の稜線を歩くコースでした。久しぶりに山歩きを楽しみしました。

この稜線には戦国時代の山崎城跡もあり、ここから残雪に染まった「御岳」を望むことも出来ました。

下山してからは、岐阜県最大級の石室を持つ「こう峠口前方後円墳」を見て来ました。この古墳は高校の時、郷土史研究会で見て以来です。この前方後円墳は真ん中が変形している所が少し残念です。

国府町の町誌を見ますと

『町のあちこちから石器や土器の類が出土し歴史は遠く石器時代まで遡りますが、縄文時代前期のものといわれる竪穴式住居跡(村山遺跡)や飛騨地方最古の古墳と目される三日町大塚古墳(前方後円墳)、県下最大の石室を持つ「こう峠口」古墳などを始め夥しい遺跡や古墳が発掘されています。大和王朝による国土統一が行われて、全国各地に「国府」が置かれ「国司」が派遣されましたが、斐陀(当時飛騨はこのように表記されていました)の国府は、多くの古墳群や古代寺院跡、遺されている地名などから国府町広瀬町桜野付近であったと推定され、豪族斐陀国造一族の本拠地もこのあたりにあったと考えられています。』とあります。

こんな歴史ある国府町の街を歩いていますと「飛騨の匠」が、大工の三種の神器と言われる「墨壷(すみつぼ)・指矩(さしがね)・釿(ちょうな)」を使い、神社仏閣を建てる姿が目に浮かんで来ました。

山歩きと歴史散策も、これまた趣が違った楽しみ方の一つと気づきました。

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歩み山です

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こう峠口前方後円墳ですが、真ん中が崩れ住宅が見えます。

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御岳としろふじです。