変化 82. 気づきの窓「樽」

この樽や桶は、人間が発明した中で、最高の傑作と言われ、水などを運んだり、保管するのに役立ち、当時の人の生活を、大きく変えたのではないかと思われます。

「役割の樽」や「行政の樽」の基になった「樽式活性化法」は、秋田県鹿角市のお客様の活性化に取り組んでいた時に閃きました。閃いた所は、宿泊していた大湯温泉の露天風呂です。

この頃は、コンサルとして独立したばかりで、無我夢中で仕事をしていました。そんな中で、一番苦しんだのが、組織の各々の役割の説明でした。言葉や文字で説明しても、その理解度はまちまちでした。

この組織の役割を形として、説明できなだろうかと、いつも考えていました。そして雪深い東北地方にも、春の日差しが刺し始めた弥生の夕方に、大湯温泉の露天風呂に行きました。

その入口で、壊れた風呂桶を見つけ、頭の中にせんりつが走り、「樽」が閃きました。正に空海上人が説かれた「己有(こう)を知らず、貧これに過ぎたるはなし」「心にはとてつもない威力が潜んでいる。これを識らずして生きることは、何とももったいないことだ」との教えが真実となったのです。

風呂へ入るのをやめ、直ぐに部屋に帰り、朝までかかって「樽式活性化法」の骨格が出来上がりました。

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この「樽式活性化法」の「役割の樽」は、一年後に日本工業新聞や生産性新聞など多くの新聞や専門誌に紹介され、それを契機として、北海道から九州まで、全国各地を講演して回ることが出来ました。

何故大湯温泉で「樽」が閃いたのか?それは近くに「大湯環状列石」という特別縄文遺跡があり、そこへいつも行っていました。そこは、パワースポットと言われており、そのパワーのお陰で、この「樽式活性化法」が閃いたのではないか?。

この「樽」の閃きのお陰で、今日があることを感謝しております。

                  続く

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