私は仏壇 ( 10 ) 善光寺参り ① 信州善光寺様

下さんは2015年5月、7年に一度御開帳される、信州善光寺様をはじめ、長野飯田元善光寺様など、六善光寺様を奥様と一緒にお参りされました。この六善光寺様のお参りは大変心に残った様です。

善光寺同時御開帳をネットで見ますと

七年に一度の盛儀。2015年(平成27年) に開催される信州善光寺御開帳。

「それに合わせて長野県飯田市善光寺元善光寺)、山梨県甲府市善光寺甲斐善光寺)、愛知県稲沢市善光寺(祖父江善光寺東海別院)、岐阜県関市の善光寺(関善光寺)、岐阜県岐阜市善光寺(岐阜善光寺)でも同時に御開帳を行う」とあります。

この六善光寺様参りを2回に分けお参りされ、一回目は一泊二日で「信州善光寺様・元善光寺様・甲斐善光寺様」をお参りされました。

信州善光寺様をネットで調べますと

[ ご本尊は「一光三尊阿弥陀如来」で、インド・朝鮮半島百済を経て、欽明天皇13年(552年)に日本に渡られ、この仏さまを本田善光さんが信州の地に安置されました。本田善光さんがお始めになった(ご開山)お寺であることから、「善光さんのお寺(善光寺)」と呼ぶようになりました。

国宝に指定されている現在の本堂は、江戸時代の宝永4年(1707年)に5年の歳月を経て完成したもので、300年の歴史を誇ります。木造建築としては、奈良・東大寺大仏殿、京都・三十三間堂とともに日本を代表する規模で、撞木造りという独特な建築様式が用いられています。

生身の如来といわれる善光寺如来は、生きている人と同じようにあたたかい体をしておられ、おすがりする者はすべて極楽往生を約束してくださる仏さまといわれています。

善光寺さんが全国に知れられるようになるのは平安時代の末期。当時、有名なお寺は決まって女人禁制でした。ところが、善光寺は最初から庶民の寺で女性も救う寺として知られていました。身分の差も男女の区別もなく、お参りすれば誰でも極楽往生できると信じられ、全国から老若男女が訪れるようになったのです。] とあります。

                   続く

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高山で山登りの途中で「藤の花」を撮られました。