人生の師に学ぶ

swnm82015-02-20

私の人生の師とする人は沢山見えますが、その中で両親と中村久子さんは特別な方です。父からは「夢を決して諦めないこと」母からは「生まれた時から素晴らしい守り神が付いている」と暗示をかけられたことです。父は42歳で突然失明しました。その時、私が小学5年、姉が中学2年、妹が幼稚園と、今思うと両親の苦しみは如何ほどであったか?只々頭が下がるばかりです。母は父に「お父さん。これからは私が学校の給食婦として働き、子供達はしっかり面倒をみるから安心して学校に行って下さい。」と言ったと父から聞きました。
父は岐阜県立盲学校を卒業し、指圧師として開業しました。当時高山市身体障害者協会の会長が中村久子さんでした。このご縁で私も父に付き添って行き、中村久子さんにお会いしました。最初にお会いしたのは中学3年でした。( 中村久子さんの詳細は飛泉ホームページのコンテンツ「人生の師 中村久子女史に学ぶ」をご覧下さい。) この出会いから25年の月日が流れ、40歳の時 私が主催して「中村久子女史遺品展」を高山市文化会館で開催しました。それがキッカケとなり「中村久子女史顕彰会」を設立し、真連寺住職の三島多聞さんが会長、私は事務局長としてお手伝いを初めました。
中村久子さんの言葉に「人生に絶望なし 如何なる人生にも 決して絶望はない」があります。中村久子さんの手足無き絶望の人生の中で生きられた、この言葉は私の大きな大きな人生のタガとなっております。樽式活性化法の自己の樽のタガは人生の師です。私の人生のタガの一つは両親と中村久子さんで、タガの中でこのタガは特に太く強いものです。
これからも多くのタガに支えられ、世の中のお役に立てるよう頑張って行きたいと思います。
「 人生は 強き心が 道拓く」