「日本人はあばら屋に?:日本の文化は世界に誇れる」第二回

swnm82011-09-05

 「樽式衣食住活性化法」の「衣:文化」のソフト面について第一回でお話ししましたが、今回はハード面についてです。このハード面は奈良法隆寺正倉院の宝物など、世界に類を見ない日本独特の建造物や工芸品が沢山あります。このような素晴らしいハード面の文化を築き上げた先人に、ただただ頭が下がる思いです。

 私は飛騨で生まれ、飛騨で育った人間ですので、飛騨の文化について話させていただきます。飛騨は「飛騨の匠」に代表されるように「匠文化」です。飛騨は飛鳥時代から租税を収める代わりに、都での寺院仏閣を建築するための大工として労役につきました。この飛騨から働きに行った人を総称して「飛騨の匠」と言います。

 なぜ全国から沢山の匠が集まっていたのに、飛騨人だけ「飛騨の匠」と言われたのでしょうか?。それを少し裏付ける歌が万葉集にあります。 
   “かにかくに 物は思はず 飛騨人の 打つ墨縄の ただ一道に”
です。この歌には飛騨の匠たちが打つ墨縄による直線は、正に人の手によるものとは思われないほど高度で、正確な技術の証を示すものと考えます。

 飛騨には飛鳥・奈良時代の仏閣史蹟が沢山あります。その仏閣の発掘調査から規模は小ぶりながら伽藍配置は、飛鳥・奈良の都に劣らぬ素晴らしいものです。(参照「匠ものがたり:飛騨木工連合会刊)このような「飛騨の匠文化」はどこから生まれたのでしょうか?。本当に不思議です。全国にはこの他に各分野・各地に沢山のハード面・ソフト面の文化があります。この文化を生み出したのは、先人の知恵と風土であると考えます。

 結びにこの「樽式衣食住活性化法」の文化の樽・経済の樽・政治の樽の三つの樽を見ると、この「衣:文化」の樽は活性化された素晴らしいものてあると考えます。このことから私達は世界に誇れる衣(文化)を着ておりますが、先人からいただいたこの衣を大切にするとともに、時代が求める文化を構築する責任が課せられていいると考えます。次回は「食:経済」です。
http://www.nande.com/shunkei/index.htm