提灯の革命「楽々提灯」開発 ⑵

高山では、街の辻毎に、大きな「辻提灯」を飾ります。高山駅前には高山祭りを知らせるのぼり旗が立ち、その旗に大きな辻提灯が飾られます。

しかし残念なことに、この辻提灯が雨に弱いことから、ビニールシートが被せられています。これでは折角の辻提灯も台無しです。

こんな願いを叶えるために完全防水仕様の下の写真の様な「総丈1650 径430 ㎝」の大きな辻提灯も作りました。まだこれよりも大きな、大人が入れる位の辻提灯も作成しております。

私の一番願いは情緒と風情ある街づくりです。特に高山は今、ホテルの建設ラッシュです。それに輪をかけて民泊がどんどん出来ています。

このホテルも民泊も、夕食が無いことから、宿泊客は主に外食になります。この「夜の観光客が食事と共に、提灯の灯りに照らされた、古い街並みの素晴らしい灯りのアートを楽しめる様に出来たら」と願っています。

この楽々提灯の展示会を高山市有楽町のあかりの蔵で 10月5日から10月20日まで行います。

雨に強い「楽々提灯」が生まれたことで「提灯文化」が大きく花開き、一つの伝統産業が斜陽産業から、脱皮出来ることを願うばかりです。

   提灯の  灯りが照ら  古い街

     心の中に  宿る灯火

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ネットでも販売を計画しております。

あかりの蔵: 070ー1651ー8250

提灯の革命「楽々提灯」開発 ⑴

お陰様で頭の疲れも少しづつ取れて来ました。有難いことです。又ブログを書かせていただきます。

今、岐阜市にある提灯を作っている会社のコンサルをしております。昨年10月から活性化に取り組み丸一年が経ちました。岐阜は岐阜提灯の産地として有名ですが、岐阜提灯も受注は減少傾向にあります。

私の実家がある高山市は、春と秋の高山祭があり、京都祇園祭秩父夜祭と並び日本三大美祭と言われます。高山祭りでは何処の家の玄関にも「献灯」の提灯が飾られ、23台ある屋台には100個程の提灯が飾られます。夜祭では提灯の灯りが屋台を照らし幻想的です。

しかしこの提灯の一番の弱点は雨に弱いことです。この弱点を解消すべく、この一年間研究を重ね、やっと雨に強い提灯を開発し、実用新案の登録も終わりました。

この提灯の名前は「楽々提灯」です。この楽々提灯の特徴は「耐水性でリモコン式のLEDで配線が不要」です。この楽々提灯を開発し、6月22日高山に「あかりの蔵」というアンテナショップを開店しました。そこに写真のような「楽々提灯」を飾り、今日で105日が経過しました。この建物の軒先は短く、雨が直接当たり、豪雨や台風にも耐えて、驚くことに、全く痛んでおりません。楽々提灯の耐水性が立証で出来ました。続く

  提灯が  雨に降られて  肩すくめ

   隣を見れば  雨ぞ何処降る

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あかりの蔵: 070ー1651ー8250

一休み

面白いほど頭の回転が良い時と全く回転しない時とがありますが、残念ながら今日は後者の時です。疲れ果てると文章を書くことが、億劫になって来ます。毎日携帯でブログを書くのが、楽しみで楽しみであったのが、今日は全く頭が回転しません。今晩はゆっくり休み、ブログを書くのが、楽しみで楽しみであように頑張ります。

  ブログとの  闘い疲れ  一休み

   ブログは夢を  広げ広げて

  
  

無我の境地で

面白いほど、頭の回転が良い時と、全く回転しない時とがありますが、残念ながら今日は後者の時です。疲れ果てると文章を書くことが、億劫になって来ます。毎日携帯でブログを書くのが、楽しみで楽しみであったのが、今日は全く頭が回転しません。何故そのようになるのか?それは全ての物に限界値があるように、この限界値を超えてしまったようです。しかしこの限界値は鍛えることで、上げることは出来ると考えています。
まだまだ修行が足りません。こんな反省をしながら、今晩はゆっくり休み、ブログを書くのが、楽しみで楽しみであように頑張ります。
  限界値  超えてしまえば  横になり
    無我の境地で  天を仰て

 

 

頭の引き出しで人生が変わる

今日9月30日は「人財育成セミナー飛泉塾」の申込み締切日です。このセミナーは「飛泉」のホームページで詳細に掲載しておりますが「講師による一方通行の研修ではなく、研修の90%は参加者全員がワイワイ言いながら、共に考え、気付き合う研修」です。

このセミナーを行う最大の目的は次の3点です。

1.問題解決能力育成

2.仕組み検証能力育成

3.人財育成能力育成

この3つの能力は業種を問わず、管理職に一番求めらる能力です。

では一つづつ説明をさせていただきます。

1.問題解決能力育成

問題点を抽出する方法は多々ありますが、しかし残念ながら問題点を抽出しても、それを解決する仕組みは無きに等しい状態です。

当社が今まで120社余りの活性化に取り組み、全てのお客様で活性化が成功した最大の要因は「問題点を仕組みとして解消する樽式活性化法」を開発したからです。このセミナーではこの手法をマスターすることが出来ます。

2.仕組み検証能力育成

仕組みには必ず入口と出口がありますが、一番大切なことは、中身を明確することです。そしてこの中身を検証する能力が管理職には求められます。

この中身を検証するには、仕組みを実際に構築し、検証することが必要です。この研修では、実際の仕組みを構築し、検証することが出来る「実務研修」です。

3.人財育成能力育成

人財を育成するには「人財育成のための仕組み」が不可欠です。この人財を育成する仕組みは、種々ある仕組みの中でも、一番難易度が高い仕組みです。この仕組みをマスターするには、各種の仕組みを実際に構築することが必要です。この研修では沢山の仕組みを構築し、体験することが出来ます。

 

この飛泉塾に参加しての最大の収穫は「人生を大きく左右する経験知をフル活動させることが出来る様になること」です。それは頭の中に、乱雑に散らばっている経験知を綺麗に頭の引き出しの中に整理し、いつでも引き出し、活かすことが出来るようになること」です。

正に仕事が出来る人と出来ない人の差は、この頭の引き出しの整理度にあります。しかし残念ですが、この頭の引き出しを整理する方法を教える所は少ないと考えます。

このように飛泉塾は今まで余りなかった実務研修です。ぜひご参加下さい。お待ちしております。

  人生は  己を信じ  過信せず

   日々の気づきが 知恵と変わりて

 

 

チヨン子

今は猫ブームでしょうか?テレビのコマーシャルにまで、猫が出てくるくらいですから凄いことです。
私の家では、犬を飼ったことはありませんが、猫は飼ったことがあります。
その猫を飼ったのは、私が小学4生の頃です。実は隣の家の猫が、私の家に居候してしまったのです。隣の家にお嫁に見えた方が、真っ白なペルシャ猫を連れて見え「チヨン子」という名前でした。そのチヨン子が毎日私の家に来て帰らないのです。
私は母から言われ、夕方になるとチヨン子を抱いて隣の家に連れて行きます。しかし私が帰るより先に、私の家に入り「ニャン!お帰り」と迎えてくれます。
何故チヨン子が、私の家がそんなに、気に入ったのでしようか?それはチヨン子に聞かなければ分かりませんが、本当に不思議です。
隣のお嫁さんから「もうチヨン子は、下裏さんが気に入ったようですので、どうぞ宜しくお願いします」頭を下げられました。その時チヨン子は嬉しそうでした。
それからチヨン子は、家族の一員になりました。特に母が大好きで、いつも付いて歩いていました。この頃、父の失明など生活はどん底の中にありましたが、このチヨン子のお陰で、どれだけ和らいだことでしようか。
このチヨン子は、大変長生きをし、母に看取られながら天寿を全うしました。今思えば一番苦しかった時、チヨン子が福を呼んでくれたのではないかと感謝しております。
人も猫も全て生あるものは、必ず死が訪れます。その死を迎える時、愛すべき人に付き添われ、天寿を全う出来れば、こんな幸せなことはありません。
その母は友達に誘われ、デイサービスに2回通い、その2回目にお風呂に入り、お昼ご飯をいただき、そして「少し休ませて下さい」と言い、介護士さんに抱かれて息を引き取りました。それまでは元気で、私の家は母のお友達が沢山集まり、ミニ老人ホームのようでした。
そんな母が苦しむことなく、天寿を全うしたことに皆んな驚きました。私はこの時、埼玉県に仕事に出かけており、母の最後を看取ることはで出来ませんでしたが、こんな素晴らしい最後を迎えられたことに感謝しております。
チヨン子は母に抱かれて幸せに過ごしているのでしょうか。そんなことを願いながら、テレビに映る愛らしい猫とチヨン子を重ね合わせて見ております。
     愛らしき    チヨン子の姿    目に浮かび

            テレビの猫に     笑顔返して

人生の並木道 中年期 前期 前半 ( まとめ )

31才から35歳までの「中年期 前期 前半」を振り返りますと、飛騨信用組合の退職など経営コンサルとして、越えなければならない大きな峠の時でした。
飛騨信用組合で勤務したことは、経営コンサルの道を歩むための、大きな道標となりました。こんな経験は決して経験出来ることではありません。この経験をさせて下さった理事長をはじめ、専務理事に唯々感謝するばかりです。
この経験が、今回10月5日に開講する「飛泉塾」にも大いに役立っております。私の経験から金融マンは、職業柄、中々人を信じることが出来ません。しかし同じ金融マンでは、目線を同じにして、互いに信じ合えるものがあるように思います。
お客様に同伴して、取引先の金融機関を回りますが、私が同伴するのと、しないのでは担当者の対応に大きな違いがあるようです。
私は担当者が何を望んでいるのかを直ぐに理解できますが、取引先の担当者では中々理解することは難しいのです。
特に再建などに携わると、取引金融機関との交渉力が問われます。その基となるのが、再建計画書です。この再建計画書の完成度が、融資を引き出す大きな鍵になります。
再建計画書の完成度とはなんでしょうか?私の経験からまず第一に「5年間の決算分析を行うこと」第二に「社長以下役員のビアリングを行うこと」第三に「管理職のビアリングを行うこと」第四に「従業員のビアリングを行うこと」です。このビアリングを行うことで、問題点の概要を把握することが出来ます。最後は「自分の眼で現場調査を徹底して行い分析すること」です。再建で一番大切ことは「骨身を惜しまず再建に取り組む姿勢」です。私は朝一番に出社し、 掃除をし、出社する従業員一人一人に「おはようございます」大きな声で挨拶をします。「おはよう」は上から目線です。決して言わないように心がけております。
何故30代の若造が、大手メーカーを相手に、張り合うことが出来たのか?今思えば本当に不思議です。

私の人生は、戦国時代の武将が、生死を賭けた戦いに、明け暮れた日々と、どこか似ています。

そして中年期前期を迎え、より波瀾万丈の時を迎えます。管工事会社そして木工会社の再建は、多くのことを学びました。この再建成功が「どんな会社でも、俺の手に掛かれば、再建出来る」という恐ろしい自己過信が頭をもたげて来たのです。
自信過信を生み出しのが、この中年期前期後半36歳の時でした。それは次回話させていただきます。
      自信とは    恐ろしきもの    我忘れ
            聞く耳無くし   地獄歩むも