人生の並木道 中年期 前期 前半 ⑹

工場内の調査を始めると刃物の管理が悪いため、切れが悪く製品不良の大きな要因になっていました。組立と塗装部門を見ると、これ又大きな問題点がありました。それは接着不良と塗装不良でした。
この2つを解消するには、コンベアを設置しなければなりません。しかし資金がありません。私は自宅の土地と家を父と母にお願いし、担保に入れ、その設備資金を調達しました。

自宅の土地と家を担当に入れると言った時、父が言った言葉が今も忘れられません。「俺も前は専務をしていた。専務とは会社のナンバー2だ!如何なることがあっても逃げることは出来ない。担保を入れ、金を借りることはよいが、決して理事長と専務理事に迷惑をかけるな。このことをしっかりと心して仕事をしろ!」と。理事長と父は知人であり、専務理事は仲人をして下さいました。こんな関係でより心配をされたのだと思います。

もう一つの大きな課題は営業でした。買収の話は消えましたが、取引先がこのお客様のみで、単価交渉の余地もありません。新しいお客様を開拓しなければ、利益体質を図り、再建をすることは出来ません。

早速地元の同業者の社長に相談しました。すると名古屋のお客様を紹介状付きで紹介して下さったのです。喜び勇んで訪問しますと「待っていました」とばかりに継続的な、大きな注文をいただきました。
それから何社かのお客様から継続的な発注をいただき、この難局を乗り切ることが出来ました。
そして一年後、新しく製造部長が入社されました。そして半年後、若さの辺りと驕りから社長との意見の相違が発生し退職しました。心配していた自宅の土地や家の担保は業績が良くなったことで、退職と同時に全額返済され、担保は解除されました。
次回は中年期前期前半の「まとめ」を書かさせていただきます。

  ギシギシと 回るコンベア 仰ぎ見て

     家族団欒  瞼写りて

   

    

人生の並木道 中年期 前期 前半 ⑸

専務と名刺交換をしますと、第一声が「失礼ですが、この様な大金を下裏さんが調達されたのですか?」と尋ねられました。「はい!私が調達しました」と応えますと、専務の顔は何処となく赤らんで来ました。「失礼ですが、下裏さんはお幾つですか?」「35歳です」と応えました。「少し今回の件の経過を教えていただけませんか?」と問いかけられました。「私は会計事務所の先生から廃業されるから残務整理をとの指示が出ましたので出向しました。
そして調査に入りますと問題は山積みしていますが、再建可能ではないかと思い、再建計画書を作成しました。そして再建出来ると確信し、一年前まで勤めていた飛騨信用組合へ、融資のお願いに行きました。今回作成した再建計画書が認められ、融資は承認されました。私もまさか全額融資が認められるとは思っていませんでした。驚きました。」「お幾ら融資を受けたのですか?」「一億円です」
「えっ!一億円⁉︎」専務は驚きのあまりしばらく無言でした。
専務から「今晩、会食をしたいと思いますが、ご都合は如何ですか?」と思いもよらない言葉が発せられました。そして又驚くようなことを言われたのです。「この席に社長と奥さん・常務も同席されたら如何ですか?」私は「はい!直ぐに連絡します」と応えました。この結果を社長に報告し、専務からの会食のお誘いの話をすると大喜びです。
その夜は名古屋市内の割烹で専務以下数名の役員の方と営業部長・経理部長、こちらから社長・奥さん・常務と私が参加し、大変和やかな宴になりました。しかし営業部長と経理部長の顔は苦虫顔でした。
さあ!本格的な再建開始ですが、調査を続けると大きな未払金が見つかりました。この未払金を整理するには、資金が足りません。早速親族会議を開きました。私も500万円出資し、何とか2000万円が集まりました。

  割烹の 料理の味も  何処へやら

    安堵の酒が  身体巡りて

   

人生の並木道 中年期 前期 前半 ⑷

そこで営業部長に「8月25日に振込をさせていただきます」と言いましたが、無言で席を立たれました。課長から「本当にそんな大金を用意出来るのですか?25日の振込は間違いないでか?」と何回か問われました。私は「この資金は以前勤務していた飛騨信用組合から借りることが出来ました。間違いなく25日に振込ます」と応えました。この話を聞くと課長の顔は、馬鹿にしていた顔から厳しい顔に変わりました。「解りました。私から営業部長や経理部長に話しておきます」とやっとで一つの山を越えました。
そして前日は名古屋市内のホテルに泊まり、朝9時に訪問しました。課長は「振込は間違いないですか?」とまだ疑心暗鬼の様です。「はい!今朝一で飛騨信用組合から振込む手配をして来ましたので、間違いありません」と応えました。
そこへ営業部長が「貸付金の件はどうなったね」と問われ「今朝一で飛騨信用組合から振込む手配をして来ました。まもなく振り込まれると思います」、すると営業部長の顔から血の気が引いて行きました。「この案件は、22日にグループ役員会で承認されました。買収は決定したのです」と顔は真っ青です。すると課長が「部長!6000万円の振込がありました」と飛んで来ました。部長の顔は引きつっていました。
私は「25日振込ますから、買収の話は中止して下さい。とお願いしました。何故役員会にかけられたのですか?」と詰め寄りますと、営業部長は下を向き一言も発せられません。
34歳の若造が大手メーカーを振り回し、事務所内は上へ下への大騒ぎです。営業部長の態度は一変し、応接室に通されました。そこで営業部長、経理部長、課長などと名刺交換をしていますと「本社から専務が見えました」と受付の女性が緊張した顔で伝えてました。

続きは又明日

   恐ろしき 金の力が  弱者から

    大蛇飲み込む 龍に変わりて

    

     

人生の並木道 中年期 前期 前半 ⑶

その日から再建計画書の作成にかかり、半月後再建計画書を持って、飛騨信用組合の専務理事を訪ねました。この時お願いした融資金額は一億円でした。
「又大きい金額だなあ!検討するから待っていてくれ」と言われました。

それから3日後、専務理事から「直ぐに本部に来るように」との電話が入りました。期待と不安を抱きながら、役員室に入りました。専務理事から「この再建計画書を説明して下さい」と言われ、説明し質問もありましたが、何とか終わりました。専務理事から「結果は又後日連絡します」と言われ終わりました。
それから3日後専務理事から「今回の融資は全額承認された」と驚くような連絡が入りました。
これに驚かれたのは、社長と奥さんです。正か全額承認されるとは、誰も思っていなかったのです。本当に驚きました。直ぐに再建計画に基づき、行動を開始しました。
先ずは、メーカーに買収中止の話をしなければなりません。その準備をしていますと社長から「専務取締役として交渉に行って欲しい」と言われ、専務取締役の名刺をいただきました。

そして名古屋市にある本社に行きました。そして課長に買収中止の話をしましたが「貸付額は6000万円ですよ!そんな金がどこにあるのですか?お帰り下さい」と全く取り合ってくれません。又次の日も課長と会い、話をしますが取り合ってくれません。 
無理もありません。倒産寸前の会社が「6000万円のお金を持って来ますから、買収を中止して下さい」 信じないのが当然です。ましてや35歳の若造が、専務取締役という名刺があっても、一度も会ったことがない人間です。
その日課長と話をしていますと「おい!何処のお客様だ!」と声をかける人が見えました。名刺交換をしますと「営業部長」です。そこで今回の件を説明しましたが「馬鹿な!そんな大金を払えるはずがない。話を聞く時間が無駄だ!」と全く耳を傾けてくれ気配はありません。

続きは又明日

       無視されて    悔し涙も     乾かぬに

   押して押されて 鍛え鍛えて

      

 

人生の並木道 中年期 前期 前半 ⑵

飛騨信用組合を退職し、経営コンサルになるための次のステップは、経営の基本である経理をしっかり学ぶことでした。そのため高山市内の会計事務所に勤めました。
この会計事務所の勤務で、大きな回り道をしましたが、経営コンサルとして、最も大切な経営者の基本を社長・専務・常務という役職で、30代中盤で経験させていただきました。この経験で経営コンサルとしての基礎の一つが出来上がりました。
会計事務所に勤務して10ヶ月後の8月初め、先生から「廃業をされるお客様があるので残務整理をして来て下さい」との思わぬ話が来ました。
私はもっと経理を勉強をしたいと思いましたが、先生からの命令です。直ぐにそのお客様の所に行きました。その会社は従業員数80人余りで、ダイニングキッチン用の椅子を製造し、高山の家具メーカーでは中堅どころでした。
早速社長の所に伺うと総務部長という名刺をいただきました。工場長に工場を案内してもらいますと、工場の中は足の踏み場もないほど、仕掛品や資材が散々していました。従業員を見ますと、その動きは悪く、導線もはっきりしていません。先生の言われた通り、これでは廃業も止むなし!と実感しました。
工場を回り、社長室で社長から話を聞きました。すると先生から指示されたこととは大違いです。それは廃業ではなく、メーカーからの借入金を担保にした買収でした。その期限は9月30日です。そこで又再建魂が火を噴きました。

もう時間ありません。早速調査に入りました。朝早くから夜遅くまで、一人で帳簿と睨めっこです。もう家庭のことは、すっかり忘れ仕事人になっていました。
約一ヶ月間を掛けて調査は終わり、その結果は驚くことに再建可能となりました。早速会計事務所に行き、先生に出向解除をお願いし、了承されました。会社に帰ると社長から「常務取締役になって、再建をして欲しい」と言われ、驚きましたが、快く引き受けました。

続きは又明日

          回り道      夢にまで見た     経営者

             仁王様にも    似たる気持ちで

               

人生の並木道 中年期編 前期 前半 ⑴

今日から中年期編の前期  前半 ( 31歳〜35歳 ) を7回に亘り連載させていただきます。

この中年期は激動の時でした。1つは「飛騨信用組合の退職」2つ目は「会計事務所就職・木工会社出向」3つ目は「総務部長・常務取締役・専務取締役就任」など短期間に沢山の職業と役職を経験したことです。このような経験が出来たことは、実務経験として、経営コンサルとしての基礎づくりに大いに役立ちました。

飛騨信用組合は33歳の9月30日に退職しました。何故退職したのか?それは「経営コンサルとして自立するには、会計事務所に勤務し、会計業務の基本を勉強すべき」との父の友人から助言をいただいたからです。

この決断に家内は大反対をしました。何故なら「ひだしん」に居れば安定した生活が出来、支店長も目前でした。この時、父と母は家内に「靖彦( 旧名 ) は経営コンサルの夢を描いている。どうかこの夢を叶えてやってくれ」と深々と頭を下げられたのです。家内は「分かりました」と言い、部屋に閉じ籠ってしまいました。この時、一番苦しまれたのは両親でした。父から「これからは茨の道が待っているぞ!決して負けてはならん。信じた道を一所懸命歩めば、必ず道は開く。美ちゃんを泣かせてはならんぞ!」と大きな釘を刺されました。

退職届を出し、受理されれ、理事長と専務理事に挨拶に行きました。理事長から「下裏君はサラリーマンでは収まらないと見ていた。経営コンサルはまだ飛騨では珍しい仕事だ。全面的に応援するから頑張りなさい」と有難いお言葉をいただきました。

そして驚くことに、専務以下、男子職員全員が参加しての、送別会をして下さいました。勤務年数15年余りの33歳の若造に、何十万円というお金を掛けての送別会は、前代未聞の出来事となりました。

この時は「希望と不安が入り混じり、後引けない崖っぷちに立った心境」でした。この心境は一生忘れることが出来ません。

 続きは又明日

         新しき    道を求めて    踏み出せば      

            後に弾けない    淵に立たされ

 

 

 

 

 

 

先人に学ぶー高齢化社会は負の社会?

私の師とする先人は、沢山見えますが、その中で特に師とするのが、江戸時代に実測で「大日本沿海興地全図」を作成された伊能忠敬です。伊能忠敬は49歳で隠居し、50歳を過ぎてから、江戸へ出て天文学を学び、江戸幕府の命令で、日本で初めての、実測の日本地図を作成された人です。

この頃の平均寿命から考えると50歳とは、今の78歳になります。この年齢で天文学を学び、歩いて実測の日本地図を、作成されたことは、本当に驚くべきことです。

私は12月で75歳になります。10月には、東京で「時代が求める人財育成を目的とした飛泉塾」を開講します。正に伊能忠敬が江戸へ出て、天文学を学ぶ、年齢と同じ頃になります。

今、高齢化が大きな社会問題になっています。私は高齢化とは「経験知を積んだ知恵の社会」と捉ています。この「経験知を活かす仕組み」を作り、その経験知を活かせば「高齢化社会が負の社会から夢ある素晴らしい社会に生まれ変わることが出来る」と考えております。

その第一歩として、この仕組みづくりを学ぶ場として開講するのが「飛泉塾」です。

私も伊能忠敬に学び、「飛泉塾」を「社会人の学習塾」として日本中に広め、日本が高齢化社会の世界のモデルとなれるように、全力疾走したいと思います。

     先人の     歩む姿の     跡を追い

         歳を忘れて     燃え盛る夢